2011.09.11 祈り
今年の早池峰山はおそらく大震災の影響で、例年に比べて登山者が少なくなっています。そんな中、被災地にボランティアに来たついでに早池峰山に登る人がいることが今年の特徴です。今回の震災では、アウトドアを趣味にしている人たちが早くからボランティアに参加していたことは事実です。旅行会社によるボランティアツアーが組まれる前から、自前のキャンプ用具を車やバイクに積んで被災地に駆けつけた人々が沢山いました。普段からテント生活やキャンプに親しんでいる人はこんな時フットワークが軽い。ありがたいことです。


早池峰山頂から遠望した宮古湾 (右方にラサ工業の大煙突も見える)

早池峰山は三陸沿岸の海上からの目印になるため、近世以降沿岸部の人々の信仰が篤かったようです。以前に小田越登山口にあった鳥居や、小田越コースの昔の鉄梯子は沿岸の人たちが奉納したものだといいます。また、早池峰山頂には奥宮と若宮の二つのお宮が鎮座ましますが、奥宮の前の石灯籠の支柱(だったらしい遺物)にも沿岸の人々の信仰の記録が刻まれています。



「宮古鍬ヶ嵜連中」と書いてあります。鍬ヶ崎は、今回の大津波で被害の大きかった海岸部の地域の一つです。石柱のほかの面も読んでみると、それぞれ「門馬口」「安永九六月吉日」「奉納御寶前」と刻まれていました。安永九年は西暦1780年。その年の六月に宮古鍬ヶ崎の人たちが門馬口より登り、石灯籠を奉納したということになります。現在では交通の便利な河原の坊や小田越の登山口からの登山が一般的ですが、江戸時代には旧川井村側(現宮古市)の門馬口も信仰登山のメインルートの一つであったことが窺えます。

早池峰の開山伝説は大同元(806)年や大同二(807)年が知られていますが、おそらくそれ以前にも人は登っていたのではないでしょうか。麓の大迫には縄文時代から人が住んでいました。


縄文中期の遺跡のある観音堂台地より早池峰山を望む
こんな山が見えていたら拝みたくもなれば登りたくなる人もいたでしょう。

人間がこの早池峰山の見える場所に住み始めてから幾度も、津波をはじめ様々な災害が人々を襲ったに違いありません。自然の力の前に、人はただ祈ることしか出来ない時が何度もあったことでしょう。祈りとは、人が自然に対してとりうる、古いけれど普遍的な一つの向き合い方なのだろうと思います。


宮古漁協ビルわきから宮古大橋越しに早池峰山を望む(2008年3月)


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