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早池峰山へ通じる道路はとっくに冬期通行止めになっていて、来年の5月まで開かない。冬の間は山へ行くよりも図書館に通うことが多くなる。今回は大迫の図書館の話をしたい。(大迫図書館の方には一年以上前に許可を頂いて館内を撮影させて頂いたのが、記事にするのが今になってすみません)
花巻市立大迫図書館は合併以前はあたりまえだが大迫町立図書館であった。いまはもと大迫町役場だった花巻市大迫総合支所と同じ建物の1階にある。



大迫町は早池峰山と早池峰神楽が全国区で有名なので、大迫図書館は町立図書館の時代から登山や高山植物、神楽・民俗芸能に関連した書物が充実している。









つまりこの分野で「ほしがらす通信」が調べものをするには大迫図書館があれば十分なのである。それだけでなく利用人口が少ないため(?)の利点もあって、話題になった本(例えば中島京子『かたづの!』とか上橋菜穂子『鹿の王』など)が予約待ちなしで読めたりするのもありがたい。昔、住む場所の条件に「歩いて行ける距離に飲み屋と図書館があること」を挙げた知人がいたが、私にとっては大迫図書館は飲み屋より居心地の良い、歩いて行けるオアシスである。

ところで、図書館が好きな人には分かってもらえるかと思うが、図書館が好きだと、最寄りの図書館だけでなく近隣の図書館も訪ねてみたくなるものではないだろうか。私も読みたい本が山と神楽に関係ない場合は大迫にはないことも多いので、となりの石鳥谷や東和、また紫波町や盛岡市の図書館へ行くこともある。しかし花巻市立図書館の本館だけは、10年ほど前に一度行ったきり長く訪れることがなかった。なぜかというと、そのたたずまいがあまりに残念すぎて二度と行く気がしなくなってしまったからである。

花巻市立図書館に初めて行った時、まるで30年くらい前の公立中学校の図書室みたいな規模と雰囲気に愕然とした。もしや昭和にタイムスリップしたのかと思った。いや鶏頭山がニセ鶏頭だったくらいショックだった。あまりにしょぼすぎて花巻市民であることを隠したくなるくらいだった(いや、まだその時は花巻市民ではなく大迫町民だったか)。

その初回のショックが大きすぎて10年以上行っていなかったが今回、図書館の話を書くために10年ぶりに行ってみた(ミシェル・ペイヴァー『千古の闇のクロニクル』第1巻を大迫で借りてみたが、2巻以降は本館にしかなかったこともある)。まあ、前回と大きくは変わってはいなかったが、二回目なのでショックはなかったし、大迫にない本もいろいろあるし、職員の方が作る掲示物などに新鮮さが感じられた。

それにしても花巻市立図書館の施設の古さと小ささは悲しくなってしまう。花巻といえば何より宮沢賢治のふるさとで、もし宮沢賢治がいなかったら「花巻」の名など全国に知られることはなかったのではないかと思うくらいだ。その宮沢賢治は何をした人かというと、画家とかスポーツ選手とかではなくて、ほかでもない文学者である。つまりその偉大な業績はどこにあるのかというと、すべて本の中である。ほかならぬ「本を書いた人」が世界に誇れる郷土の偉人だというのに、花巻市の図書館はあれだ。花巻市民であることが恥ずかしくなってしまうような図書館だ。いや図書館自体はソフト面で頑張っているのだが、ハード面をあのままに据え置いて恥じない花巻市が残念すぎる。花巻市役所に電話すると「星めぐりの歌」が流れるというのに…。花巻市の新しい図書館の計画は何年か前からあるようだが未だ実現に至っていない。一日も早く新しい図書館が出来て欲しい。


ところで本題とは関係ないが、図書館に音楽を流すのは必要だろうか?いま話題の紫波オガールに出来た新しい紫波町立図書館ではたえずBGMが流れている。私は図書館にBGMはいらないと思う。BGMを流されても本を読む意欲が増す訳ではない。流れていることが気にならないと言えば気にならないが、ふと気付くと絶えず聞こえている。それくらいのどうでもいい音楽なら聴かなくてもよい。
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